新入荷再入荷
古九谷 再興九谷 松山窯 青手六面徳利 江戸時代後期 桐目立った傷や汚れなし
松山窯
古九谷 再興九谷
古九谷 再興九谷
青手六面徳利
古九谷 再興九谷
江戸時代後期
古九谷
古九谷 再興九谷
青手六面徳利 江戸時代後期
青手六面徳利
江戸時代後期
松山窯 青手六面徳利

古九谷 再興九谷 松山窯 青手六面徳利 江戸時代後期 桐目立った傷や汚れなし

flash sale icon タイムセール
終了まで
00
00
00
999円以上お買上げで送料無料(
999円以上お買上げで代引き手数料無料
通販と店舗では販売価格や税表示が異なる場合がございます。また店頭ではすでに品切れの場合もございます。予めご了承ください。
新品 13112.00円 (税込)
数量

商品詳細情報

管理番号 新品 :f49903518764
中古 :f49903518764
メーカー 江戸時代後期 桐目立った傷や汚れなし 発売日 2025-10-06 定価 13112.00円
原型 青手六面徳利 江戸時代後期
カテゴリ

キッチン・日用品・その他#キッチン・食器

再興九谷の松山窯六面徳利です。
のびやかな筆の運びで、素晴らしい絵付けです。そして、軽くて、非常に状態が良いです。
首の一部に、スレがあります。(写真10枚目を参照)
補修、共色直しは、ありません。
水漏れ無し。
寸法
高 約19センチ
最大経 約8.5センチ
口径 約3センチ
よろしくお願い致します。
松山窯
 松山窯は、嘉永元年(1848)、大聖寺藩が山本彦左衛門に命じて江沼郡松山村(現加賀市松山町)に興した窯です。その前年から小松の蓮代寺窯で青手古九谷の再現の取り組んでいた松屋菊三郎、粟生屋源右衛門らがこの窯に招かれました。素地は藩内の九谷村・吸坂村・勅使村などの陶石土を使って作られたもので、主として藩の贈答品として古九谷青手系の作品が作られました。
 昭和54-55年の窯跡の発掘調査では、登窯2基・平窯1基・色絵窯1基とその基礎と焼土・工房跡1棟・工房内の轆轤心石3基、そして、ものはら2箇所が発掘されました。江戸時代のものはらからは、染付・白磁・青磁などの磁器と色絵、陶器・素焼などが出土しました。
 大聖寺藩は、赤絵が加賀一帯で江戸の後期から末期にかけて大いに隆盛となる中、次第に青手古九谷や吉田屋窯の青手のような青色系の磁器が焼かれなくなってきたため、青九谷を再現させようとしたことから始めました。このため、当時、松山村の人はこの窯を「松山の御上窯」(藩公直営の窯の意味)と呼んだといわれます。
 しかしながら、源右衛門が文久3年(1863年)に歿し、菊三郎が蓮代寺窯の経営に傾注せざるをなくなり、また、大聖寺藩が山代の九谷本窯(宮本屋窯を買収してできた窯で、永楽窯ともいわれた)に財政的支援を集中するため、松山窯の保護を止めてしまいました。こうしたことから、松山窯は民営に移り、木下直明らによって明治5年(1872)頃まで続けられたといわれます。

カテゴリー:
キッチン・日用品・その他##キッチン・食器##コップ・グラス・酒器
商品の状態:
新品
配送料の負担:
送料無料
配送の方法:
らくらくメルカリ便
発送元の地域:
東京都
発送までの日数:
2~5日

商品情報の訂正

このページに記載された商品情報に記載漏れや誤りなどお気づきの点がある場合は、下記訂正依頼フォームよりお願い致します。

訂正依頼フォーム

商品レビュー

レビューの投稿にはサインインが必要です